第6 独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度に関する検討

  概況
(1)   民事的救済制度の内容
 独占禁止法違反行為については,民法の規定に基づき損害賠償を求めることもできるほか,独占禁止法第25条は,当委員会の確定審決が存在する場合に,私的独占若しくは不当な取引制限をし,又は不公正な取引方法を用いた事業者に対し,無過失損害賠償責任を定めている。同条の規定に基づく損害賠償請求訴訟については,東京高等裁判所の専属管轄とされ(第85条),違反行為による損害額に係る裁判所から当委員会への求意見制度(第84条)が設けられている。
(2)   これまでの公正取引委員会の取組
 当委員会は,これまでも,民事的救済制度の活性化に取り組んできており,「独占禁止法に関する損害賠償制度研究会」(座長 平井宜雄 東京大学教授)における検討結果を踏まえ,「独占禁止法違反行為に係る損害額算定方法に関する研究会」(座長 淡路剛久 立教大学教授)を開催し,違反行為と損害との関連性・因果関係,損害額の算定方法等について検討を行い,平成3年5月,その結果を公表した。また,同年5月,「独占禁止法違反行為に係る損害賠償請求訴訟に関する資料の提供等について」を策定・公表し,これらに基づいて,裁判所等からの要請に対応してきている。
  私人による差止訴訟制度の導入及び損害賠償制度の充実に関する検討
当委員会は,独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度の充実に関し,
(1)  独占禁止法違反行為に対する私人による差止訴訟制度(以下,単に「差止訴訟制度」という。)の導入
(2)  独占禁止法違反行為に係る損害賠償訴訟制度(以下,単に「損害賠償訴訟制度」という。)の充実
について検討するため,「独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度に関する研究会」(座長 古城 誠 上智大学教授)を開催することとし,同研究会は,平成10年3月以降10回にわたり,第一の課題である差止訴訟制度の導入についての検討を行い,平成10年12月22日,中間報告を取りまとめた。
 その後,同研究会は,8回にわたり,第二の課題である損害賠償訴訟制度の充実について,差止訴訟制度に係る論点を含め,引き続き検討を行い,平成11年10月22日,最終的な検討結果に関しての報告書を取りまとめた。その概要は以下のとおりである。
 同報告書は,差止訴訟制度の導入及び損害賠償訴訟制度の充実を行うことが適当と提言しており,当委員会は,同報告書等を踏まえ,独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度の整備に関し,不公正な取引方法を用いた事業者等に対する差止請求を行うことができる制度の導入等を内容とする独占禁止法改正法案を取りまとめた。同法案は,第147回通常国会に提出され,平成12年5月12日に成立し,同月19日に公布された。
  独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度に関する研究会報告書の概要
(1)   独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度の検討の意義
 独占禁止法違反行為による私人の被害に対する救済手段の充実の必要性及び同法違反行為に対する民事面からの抑止的効果の強化という観点から,差止訴訟制度の導入及び損害賠償訴訟制度の充実について検討する意義がある。
(2)   独占禁止法違反行為に対する私人による差止請求権の導入について
 独占禁止法違反行為に対する私人の差止請求権の導入についての理論的検討
 民事法との関係については,独占禁止法違反行為に対する私人の差止請求権(以下,単に「私人の差止請求権」という。)を,同法の執行の一部を私人にゆだね公正取引委員会による同法の執行を補完する制度として構成する考え方と,同法違反行為による私人の被害に対する民事的救済手段として構成する考え方とがあるが,現行の独占禁止法においても同法違反行為が私益を侵害する場合があることが想定されていること等を踏まえれば,私人の被害に対する民事的救済手段として構成することが適当であると考えられる。独占禁止法違反行為は,侵害行為が継続し,損害の発生が継続する場合が多いという特徴を有するので,損害賠償(金銭賠償)のみでは救済として不十分な場合があり,特に差止めによる救済の必要性が認められることにかんがみ,被害の救済として必要な範囲で差止めが認められるとすることが適当であると考えられる。
 また,独占禁止法との関係については,同法は,市場経済における企業活動の基本ルールを定めたものであり,複雑多岐で,かつ,変化し続ける経済現象の中での同法の運用は,中立性,継続的一貫性,専門性をもって適切に行われることが必要であることから,差止訴訟制度を導入するに当たっては,私人の差止請求権の要件,差止めの対象となる違反行為,公正取引委員会と裁判所との関係等を検討するに際し,上記の趣旨が損なわれないよう考慮する必要がある。
 私人の差止請求権の内容
(ア)  私人の差止請求権の要件
 訴権者については,基本的には独占禁止法違反行為による被害者が訴権者となるものと考えられる。
 他の救済手段との関係については,一般に,差止めを認容するには,損害賠償を認容する場合よりも高度の違法性を要すると解されており,差止訴訟制度を導入するに当たっても同様に考えられるが,どういう場合が該当すると考えるべきかは,独占禁止法違反行為が公益を侵害するものである点を踏まえて判断する必要がある。
 また,金銭賠償に加えて差止めによる救済が必要と認められる場合として,独占禁止法違反行為によって回復し難い損害が生じる場合が考えられるが,このほかにどのような場合に必要と認められるかについては,差止めによる被害者の救済の必要性のほか,同法違反行為に対する差止めは競争秩序の回復という公益にもかかわるものであること,また,差止めは当事者以外の者にも大きな影響を与え得るものであること等も踏まえ,できる限り明確なものとなるようにすべきと考えられる。
 損害の発生との関係については,現在損害が生じていないが,近い将来において差止めによる救済が必要な損害が生じる蓋然性がある場合についても,差止めを認めることが適当であると考えられる。
(イ)  差止めの内容
 差止めの範囲については,個々の私人の被害の救済に必要な範囲とすることが適当であると考えられる(事実上,他の者にも差止めの効果が及ぶことはあり得る。)。
 独占禁止法違反行為に対する私人の差止めの内容は,現在行われている侵害行為の将来に向かっての取りやめが原則となるが,差止めによる救済を有効なものとするために必要な措置を命じることも認められるとすることが適当であると考えられる。
 差止めの内容については,次の観点からみて,判決の内容を強制執行することができるものであることが必要である。
(1)  被告が判決の内容を履行することができる程度に内容が特定されているか。
(2)  判決に従っているか否かを明確に判断することができるか。
(3)  被告に強制することが不可能な内心的なものではないか。
 また,被告に経済状況の変化に対応することができないような硬直的な事業活動を強いることになり,又は市場における競争に悪影響が及ぶこととなるような内容の差止めは,不適当であると考えられる。
(ウ)  対象とすることが適当な違反行為
 私人による差止めの対象とする違反行為については,差止訴訟制度を被害者の救済として有効かつ適切なものとする観点から,
(1)  差止めによる救済を必要とするものであるか
(2)  救済として有効な差止めを命じられるか
(3)  独占禁止法の運用機関として法律又は経済に関する学識経験を有する者による合議制の行政機関を設けた独占禁止法の趣旨との関係
(4)  差止めが当事者以外の者に与える影響
等の点を踏まえて検討することが適当であると考えられる。
 不公正な取引方法は,基本的に私人による差止めの対象とすることが適当な行為類型であると考えられる。
 私的独占,不当な取引制限及び事業者団体の禁止行為については,私人による差止めの対象とすることが適当であるとの考え方と,競争の実質的制限が要件となっているものについては,公益に対する侵害の排除という面を重視し,公正取引委員会にゆだねることが適当であるとの考え方がある。これらを私人による差止めの対象とするかどうかについては,差止めの有効性,独占禁止法第25条の規定による無過失損害賠償請求訴訟との整合性等について,更に検討した上決められるべきと考えられる。
 独占禁止法第4章の規定による企業結合規制は,競争的な市場構造を維持することを目的とするものであり,競争の実質的制限が生じていなくても,それが容易に現出し得る状況がもたらされる場合に企業結合が禁止されるものであるため,同法に違反する企業結合が直ちに私人に被害をもたらすものとはいい難い。さらに,企業結合については,結合関係の全部又は一部の解消を求める差止めを当該被害の救済に必要な範囲に限ることは困難であり,また,結合関係の解消が第三者との間の契約関係等にも大きな影響を与えることになる場合もある。このため,私人の被害の救済の方法として差止めが適当かという問題があるほか,民事面からの抑止的効果を強化する必要性も低いといえる。
 したがって,企業結合については,私人による差止めの対象とすることは適当とはいい難いと考えられる。
ウ 差止訴訟制度に係る論点
(ア)  裁判所と公正取引委員会との関係
 独占禁止法違反行為に対する私人の差止請求訴訟(以下,単に「差止請求訴訟」という。)において,例えば,裁判所が,差止請求の対象となっている行為が独占禁止法に違反するかどうかを判断するに当たって,公正取引委員会に意見を述べる機会を与えることができるようにするなど,何らかの規定を置くことを検討することが適当であると考えられる。
 私人が差止めを求めた行為について公正取引委員会が近い将来法的判断を行うことが見込まれる場合に,裁判所が,差止請求訴訟の手続の進行を停止することができるような制度を設けることも考えられるが,公正取引委員会の独占禁止法違反被疑事件の調査実務との関係も考慮の上,その要否について更に検討することが適当と考えられる。
(イ)  裁判管轄
 差止請求訴訟の裁判管轄については,民事訴訟法の原則によることを基本とし,特許訴訟についての競合管轄の例も考慮しつつ,検討することが適当であると考えられる。
 また,同一の行為について複数の裁判所に差止請求訴訟が提起された場合における判断の統一性を確保するため,裁判所は,相当と認めるときは,他の裁判所に訴訟を移送することができる旨の規定を設けるという考え方もある。
(ウ)  差止請求訴訟の濫用防止のための方策
 真に差止めによる救済を必要とする被害者による差止請求訴訟の提起を抑制することとならないよう留意しつつ,更に検討することが必要であると考えられる。
(エ)  いわゆる団体訴訟
 一定の団体に,他の私人の被害を救済するために,独占禁止法違反行為に対する差止請求権を認めることは,将来の課題とすることが適当であると考えられる。
(3)  損害賠償訴訟制度の充実について
 25条訴訟の対象となる違反行為の追加
(ア)  事業者団体の禁止行為
 事業者団体の禁止行為を独占禁止法第25条の規定に基づく無過失損害賠償請求訴訟(以下「25条訴訟」という。)の対象とすることが適当であると考えられる。
 独占禁止法違反行為を行った事業者団体の構成事業者の損害賠償責任については,違反行為の主体は事業者団体であり,構成事業者の違反行為への関与の度合いは様々であること等から,25条訴訟によって構成事業者にも損害賠償を求めることができるとすることは,必ずしも適当とはいえないと考えられる。
(イ)  不当な取引制限又は不公正な取引方法に該当する事項を内容とする国際的協定又は国際的契約の禁止
 不当な取引制限等に該当する事項を内容とする国際的協定等については,25条訴訟の対象とすることが考えられる。
(ウ)  企業結合
 独占禁止法第4章の規定による企業結合規制は,競争的な市場構造を維持することを目的とするものであり,「一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなる」場合,すなわち,競争の実質的制限が生じていなくても,それが容易に現出し得る状況がもたらされる場合に企業結合が禁止されるものであるため,同法に違反する企業結合が直ちに私人に被害をもたらすものとはいい難い,また,競争的な市場構造の維持を図るため,企業結合の実態を公正取引委員会が把握する制度も設けられており,民事面からの抑止的効果を強化する必要性も低いといえること等から,企業結合を25条訴訟の対象とすることは必ずしも適当ではないと考えられる。
 独占禁止法違反行為に係る損害賠償請求訴訟における立証負担の軽減について
(ア)  独占禁止法違反行為の存在についての立証負担の軽減
 確定審決で認定された違反行為が存在することについて事実上の推定が働くことは,判例・学説とも認めるところであり,また,公正取引委員会は,確定審決が存在する場合には,独占禁止法違反行為に係る損害賠償請求訴訟が提起され,文書送付嘱託があったときは,事業者の秘密等に配慮しつつ,勧告において事実認定の基礎とした資料等同法違反行為の存在に関連する資料を提出しており,同法違反行為の存在についての立証負担は,事実上,相当程度軽減されるものと考えられるので,同法違反行為の存在についての推定規定を別途定める必要性は乏しいと考えられる。
(イ)  損害の発生及び違反行為との相当因果関係並びに損害額についての立証負担の軽減
 一般に,推定規定を定める場合,
i  推定規定によって推定される内容と真実とが合致する蓋然性が高いこと
ii  立証が困難であるために救済を得ることができない被害者の救済を図る必要があること
iii  推定規定によって証明責任を転換することが,公平の観点からみて,妥当であることを考慮する必要がある。
 独占禁止法違反行為の態様や被害者の地位等は様々であり,推定される内容と真実とが合致する蓋然性や立証の難易の程度等は,違反行為類型ごとに大きく異なり,また,同じ違反行為類型に属するものであっても,因果関係等の判断に際しては,個別の事情を考慮する必要があるケースが多いので,すべての独占禁止法違反行為に適する推定規定を定めることは困難であると考えられる。
 また,独占禁止法違反行為の態様等に応じて,それぞれ異なる規定を置くことは,規定が複雑となるだけでなく,あらゆるケースについてそれぞれに適した推定規定を置くことは事実上不可能である。
 したがって,推定規定を定めるとしても,価格引上げカルテルや入札談合のような比較的類型化しやすい違反行為に限られると考えられる。
 例えば,価格引上げカルテルにおける相当因果関係についての推定規定を定める場合には,違反行為者がカルテルに基づく価格引上げを行う直前の価格より高い価格でカルテル対象商品を購入した者は,カルテルによる損害を受けたものとすると推定することを基本とすることが適当と考えられる。この場合,価格引上げカルテルには,カルテル対象商品の商品特性や流通経路,価格体系等によって,様々な形態があり得るため,それぞれに適した推定規定を定めるには,中間販売業者の加算分の取扱いや推定規定の適用を受ける被害者の範囲などをどうするかという問題があり,十分な検討が必要である。
 他方,価格引上げカルテルには,カルテル対象商品の商品特性や流通経路,価格体系等によって様々な形態があることから,これらを的確に類型化し,上記の考え方に基づいた推定規定を適切に定めることは難しく,また,不法行為に基づく損害賠償請求の要件となる損害の発生や相当因果関係について,推定規定を定めた立法例はないことから,損害の発生及び違反行為との相当因果関係についての推定規定を定めることについては,慎重な検討が必要であるとの考え方もある。
 また,損害額の認定は,裁判官が自由心証によって行うものであるところ,裁判所が口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づいて相当な損害額を認定することができるとする民事訴訟法第248条が設けられたこともあり,必ずしも,損害額についての推定規定を定める必要はないのではないかとの考え方もある。
 25条訴訟の裁判管轄
 25条訴訟が公正取引委員会の審決を前提として提起されるものであることからすると,25条訴訟の第一審の裁判権を高等裁判所が有するとすることには合理性があると考えられる。
 地方在住者の負担を考慮すると,25条訴訟の第一審の裁判権を各高等裁判所が有することが適当であるとの考え方もある。
 審決が確定していない場合における独占禁止法違反行為に係る損害賠償請求訴訟
 審決が確定していない場合についても,独占禁止法違反行為によって損害を与えた者は,無過失損害賠償責任を負うとすることについては,過失責任を原則とする不法行為体系全体との関係等について十分な検討が必要であると考えられる。
(4)   まとめ
 独占禁止法違反行為による私人の被害の救済手段を充実し,同法違反行為に対する抑止的効果を上げるという観点から,差止訴訟制度を導入し,損害賠償請求訴訟制度の充実を図ることが適当であると考えられる。