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第96回ワークショップの概要

第96回ワークショップの概要

 第96回ワークショップが10月22日(金曜)に開催されました。報告等の概要は以下のとおりです。

(1)「規制の競争への効果の分析」の中間報告

 (CPRC客員研究員・早稲田大学国際学術院専任講師 鈴木彩子氏)
 (CPRC客員研究員・大阪大学社会経済研究所准教授 松島法明氏)
 (CPRC研究員・経済調査室 荒井弘毅氏)
 (CPRC研究員・経済調査室 松八重泰輔氏)

 平成22年度の共同研究の一つである本研究は,規制の競争への効果の分析に関して,経済学的な見地から規制の分析を試みようとするものです。
 今回のワークショップにおいては報告者から,自主規制があるテレビの広告に関して,その規制が消費者の厚生にどのような影響があるのかについて,シンプルな理論モデルを用いた幾つかの分析結果が報告されました。
 報告を受け,参加者からは企業の位置が固定されて分析しているが,その位置は番組の質と連動するものではないかとの質問があり,報告者からは確かに御指摘は重要な視点であるが,現在のところそこまでの分析は行っていないという回答がなされました。
 また,「広告業界の取引実態に関するフォローアップ調査」によると,放送時間帯によって異なる状況が考えられるのではないかというコメントがなされました。
 さらに,本研究では考慮されていない,テレビを全く見ないという選択肢をモデルに組み込むことも,テレビ広告のような状況を分析する上で重要ではないかというコメントがなされました。

(2)「搾取的行為の考え方」の中間報告

 (CPRC客員研究員・神戸大学大学院法学研究科教授 泉水文雄氏)
 (CPRC客員研究員・大阪大学社会経済研究所准教授 松島法明氏)
 (CPRC研究員・経済調査室 荒井弘毅氏)
 (CPRC研究員・経済調査室 佐藤範行氏)

 平成22年度の共同研究の一つである本研究は,先行研究の整理や調査などにより,搾取的行為の考え方について考察することを目的とするものです。
 今回のワークショップにおいては,報告者から,最初に経済学における現時点までの議論のまとめとして,優越的地位濫用規制の経済学的な正当化根拠及び行動経済学からの優越的地位濫用規制に対するインプリケーション等について報告がなされました。次に,法学における現時点までの調査のまとめとして,欧州における最近の搾取的濫用規制,米国の事例分析(N-Data事件)等について報告がなされ,最後に,今後の研究方針等について報告がなされました。
 報告を受け,参加者から,最終提案ゲームと優越的地位の濫用との関係について,実際に実験すると完全合理性を基にした結果にならないことがあるが,取引において「公平性」も考えないといけないという視点から規制の正当化に実験結果を生かせるのではないか,下請関係では優越的地位を濫用する側も経営状態の悪化により追い詰められてやらざるを得ないのかもしれず,そういう状態で,利益分配を半々にしたら濫用する側もつぶれるかもしれないとの指摘がなされました。また,英国の競争当局(OFT)の報告書では,優越的地位を濫用する事業者の方が競争上有利になる可能性もある点を指摘しつつも,実際の事業者の行動に対しては自主規制に任せるという結論だったように思うが,その中には,自主規制に任せ過ぎるとスーパーと小売業者間の競争が歪められるのではないかという主張や,優越的地位を濫用しない小売業者の方が,濫用をする小売業者よりも競争力が低くなるという主張があったとの指摘がなされました。さらに,なぜスーパーは優越的地位の濫用をしない小売業者に取引を変更しないのかとの質問に対し,現在取引をしている小売業者と長期契約をしている点と優越的地位を濫用しない小売業者と取引した場合に,いずれ小売業者が競争に負けたときに長期的には大きな損をする可能性を意識しているのではないかという点を挙げた回答がなされました。
 また,そもそも優越的地位濫用規制は独禁法から外してもいいのではないかとの質問に対し,要件を厳密にして優越的地位濫用規制は中小企業庁に移管してもいいのではないかと考えられなくもないが,ヤマダ電機に関する事件などを見ると,公取委が比較優位を持っていると思われるので公取委に残した方がいいと答えることもできるとの回答がなされました。このほか,ドイツやオーストラリアでは競争法の他に,優越的地位を濫用する事業者を取り締まる法律が他に存在するのでその点についても調べてみてほしいこと,優越的地位濫用規制については,経済合理性のみではなくフェアネスの概念から整理した上で,このような規制があった方がいいのか否か検討した方が適当なように思われ,無理やり経済合理性から説明しようとするよりもフェアネスの概念で説明できるのかというところから考えた方が建設的で自然なのではないか等の指摘がなされました。

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